現在、震災被害からの救助活動において自衛隊が獅子奮迅の活躍をしているが、これを「自衛隊ありがとう」だけで済ませてはいけない。
自衛隊は窮状に置かれている。予算を削られ訓練の費用にも事欠く状態で、人員も足りずに苦しんでいる。
参考動画http://www.youtube.com/watch?v=RFenZTTE0os&feature=player_embedded
国民全体が自衛隊の意義を強く感じている現在だからこそ、国民から政治に向って、自衛隊への正当な評価や待遇や予算を訴える機運を高める大きなチャンスです。
そして、何をどう求めればよいのか、参考となる記事を見つけたので転載させていただきます。
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http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/5687
「身を賭して活躍する」自衛隊に正当な評価を
政治は今こそ自衛隊に地位と名誉を与えるべきだ
2011.03.21(Mon) 森 清勇
東日本大震災およびこれに付随して起きたに関連して、予備自衛官を含む10万人超の自衛隊が派遣され、国民の負託に応えるべく「身を賭して」頑張っている。
「事に臨んでは危険を顧みず」の宣誓を行う唯一の組織で、日本人の一人として自衛隊における教育訓練で培われた純粋で気高い志操の結果である。
政党やイデオロギーに関わりなく全国民が自衛隊の存在に否応なく目を向け、活躍に瞠目しているに違いない。しかし、自衛隊は軍隊でないために公私にわたって国民が及びもつかない不当な扱いを受けてきた。
今次のに当たっても法の未整備などによって、人命救助その他の能力を存分に発揮できたとは言い難い面も多々あるように見受けられる。
以下、歴代首相をはじめとした政治家の安全保障、なかんずく自衛隊に対する低い意識がもたらした現実に目を向け、自衛隊を「苦しいときの神頼み」で終わらせることなく、しかるべき地位と名誉を与えるよう提言する。
歴代首相の自衛隊認識
首相が直面する最大の試練は、今次のような未曾有の大災害や平戦時を問わず安全保障・防衛に関わる対処より他はない。しかし、歴代首相は真摯に対応してきたとは言い難い。その特徴的な表れが自衛隊に対する姿勢である。いくつかを具体的に例示しよう。
は、自衛隊を違憲合法と主張していた社会党党首の村山富市氏が首相の時に発生した。
人物的には好々爺であったかもしれないが、言うこと為すことは国民の安全と安心を担っているという意識に欠け、折角の米軍の支援申し出を断ったりしている。こうした隙を突くかのようにによるも発生した。
民主党政権で初代首相となった鳩山由紀夫氏は、発言のブレが大きく信頼感に欠けていた。また、国際社会における軍事的抑止力の意義さえ理解していなかったので、を揺るがし日本の国益を毀損する結果を招いた。
後を継いだ菅直人氏は、首相になってからも自衛隊の最高指揮官であるという認識も持ち合わせていなかったと言われる。
案ずるように、日本開闢以来の大震災が発生、同時に福島第一原発の深刻な事故も起きて、多大の被災者が出る中でも感情的な政治主導的パフォーマンスを演じ、日本と国際社会の英知を集める努力に欠けていたようである。
民主党内でを一貫して主張してきた北沢俊美防衛大臣が記者会見で、上空からのヘリによる原発への散水は「統幕長の決心」としたのは責任転嫁もはなはだしい。
指揮官は防衛大臣(権限委譲で東北方面総監か)ではないか。統幕長は首相や大臣への最高位の幕僚・助言者ではあっても指揮官ではないと理解している。
以上は安全保障や自衛隊を無視ないし軽視してきた政党出身首相たちの現実であるが、そのほかにもパロディ首相と言った方が似合いの総理もいた。
鈴木善幸元首相はSS-20(ソ連の中距離弾道ミサイル)が首脳会談で話題になった時、「それ何?」という感じであったと言われるし、には軍事事項は含まれないという頓珍漢ぶりを暴露して有名になった。
海部俊樹氏は自衛隊初のPKOをカンボジアに派遣しながら、国内で見送りする勇気がなく、出張先のフィリピンでこっそり歓迎するという卑劣な態度を取った。で130億ドルの経済貢献をしたが、評価されず侮蔑を買ったのもこの時である。
福田康夫氏は自衛隊の最高指揮官でありながら、年に1回しか開かれない自衛隊高級幹部会同に出席せず、敵前逃亡にも等しい行動を取った。隊員にとっては自衛隊蔑視以外の何物でもない印象を与え、著しい士気の低下をもたらした。
何故日本人が拉致されたのか
話は飛躍するが、北朝鮮は1970年代後半、日本の国土から日本人を連れ去っていたことが分かった。判明後も拉致が行われた形跡もある。
警察や海上保安庁はおろか自衛隊も北朝鮮まで押しかけて日本人を取り返しに来るとは思っていないから、何人も拉致できたのである。その数は特定失踪者を含めれば数百人に及ぶとされている。
取り返すことができるのは外交力と軍事力でしかない。しかし、主権を侵して不法に連れ去った日本人を外交力だけで取り返せる道理はない。
どうしてもそこには軍事力が必要である。従って、軍事力に支えられた外交か、それが不可能な場合は軍事力による武力奪還かの2つの道しか残されていないことは明らかである。
しかし、日本には軍事力がない。自衛隊があるではないかと言う人もいるが、自衛隊は軍隊でないために真の意味での「軍事力」たり得ない。
従って、日本の法体制では拉致被害者を奪還できない。ハイジャック犯に対して、「人命は地球よりも重い」と発言して超法規で対処した首相もいたが、拉致事案は国家犯罪であり、最悪の場合は戦争の覚悟が必要である。
しかも、北朝鮮のバックには中国も絡んでおり、その動きも考慮しなければならないだろうから、どの首相もほとんど頬かむりしてきたのが実情である。
元首相の吉田茂は自衛隊を「戦力なき軍隊」と言ったが、真実ではない。戦う力は有するが、軍隊ではないために国際法に基づく武力集団たり得ない。
北朝鮮はこうした日本の盲点を突いたばかりでなく、日本人を拉致した犯人の釈放に協力を厭わない有力政治家が日本にいることも掌握していたのである。
創設後も長い間、自衛隊は国民から「税金泥棒」などの罵声を浴び、子弟の登校さえ拒否する激しい反対運動を受けてきた。
しかし、自衛官の真摯な努力と自衛隊の国際平和協力活動などによって、戦後の65年間は戦争に巻き込まれなかったし、国民の多くも自衛隊の存在を肯定するようになった。
そうした自衛隊に対し、つい最近、仙谷由人氏は官房長官という立場におりながら「自衛隊は暴力装置」と言い放った。
野党の謝罪要求に対して発言を取り消したが、元現自衛隊員が抱いた心の傷は癒やされていない。今次の大震災における活躍を見て、いかなる所見を持ったかは国会できちんと問い糺す必要があろう。
日本の防衛力整備は主要国の中では最低である。なかんずく予備戦力に関しては、ほとんどの国が現役兵力の5~10倍であるのに対して、日本では格段に少なく、ほぼ10分の1でしかない。
近代軍は歩兵や野戦砲兵、戦車兵といった第一線の戦力も然ることながら、そうした近代軍を維持管理する、あるいは敵のそうしたものを撹乱する偵察衛星をはじめとする通信電子情報能力も含めた後方支援態勢を特に重視している。
しかし、この分野においても日本は技術的能力があるにもかかわらず、無施策によって世界の後塵を拝している。今次の大震災における衣食住や衛生などの救援体制の遅れに、図らずも顕現している。現役隊員ではいかんともし難い政治の決断のなさがもたらす不条理である。
今こそ自衛隊の真の姿を知れ
陳腐な一例であるが、大蔵省(現財務省)主計官たちが「科学技術の進歩によって性能が2倍向上した戦車を装備するならば、人員は半分に減らしていいはずだ」という物言いをするのを何度聞いたことか。
対象とする国を含む国際情勢の変化や軍備増強、さらには今回のような想像を絶する大災害救援に耳を貸してくれず、議論にもならない不毛な主張の連続であった。
戦車や艦艇、戦闘機で戦うばかりが自衛隊の任務ではない。警察も消防も手出しができない普段かつ不断の警備や大災害に対処する任務も有する自衛隊は、装備品等の性能アップと同時に、隊員数自体が必要不可欠である。
特に陸上自衛隊は警備隊区という地域責任、あるいは今次の大震災に見るようにでは素手の隊員を含めたある規模の隊員が必要である。
このことから分かるように、海空自衛隊を重視する分、陸上自衛隊を減らしていいという議論ではない。
震災発生から10日目になっても被災した人が救出されている状況から見ても、1日も早く1人でも多くの隊員を投入できる陸上自衛隊があれば、それだけの人を救出・救援することができる。
また、自衛隊は国内事情によって左右されるよりも、対象とする相手によって左右されることが大きい。
ソ連が対象と見られたときは北海道方面が重視され、今日では目的のはっきりしない戦力の近代化を図る中国の出現で、九州沖縄方面、中でも離島警備が大切になっている。
こうした論理の展開を抜きにして、横並びの一律シーリングで防衛予算を削減してきたのが政治指導者であり、財務省官僚であった。
首相の10万人体制の命令は地方の防衛を手薄にしているわけで、日本の安全に危険信号を点しているとも言える。今次の災害は、地域に密着した隊員が必要不可欠であることを明らかにした点でも、政治家の覚醒になろう。
自衛隊は性格上、過重な仕事が付与されても不平一つ言わずに黙々と任務を完遂する。これをいいことに政治家も官僚も、「できるじゃないか」として自衛隊の予算と勢力を減少させてきた。
夏目漱石は小説『それから』で、「日露戦争で勝ち一等国になった体面から、付き合い等も多くなり窓口が広くなったがその分奥行きがなくなり心配だ」という意味のことを書いている。
その心配が当たってしまったのが大東亜戦争の敗戦である。自衛隊は戦争こそしていないものの国際協力などで間口をどんどん広めてきたが、奥行きは驚くほど浅くなっている。漱石の心配は今日にも通じている。
報道姿勢を見ても、10万人以上が派遣されているというのに、捜索などで活躍する隊員の姿がテレビ画面にほとんど見られない。
それでいて、テレビ解説者の(放射能の危険性から真上を飛べないことには触れないで)「ヘリからの原子炉への散水は不十分」とか、「放射能はほとんど減少していない」といった発言は、多くの国民に自衛隊は頼りにならないという否定的な印象を与えかねない。
政治家もマスコミも、イデオロギーを超越して、自衛隊の真の姿を国民に知らせる努力をしてほしいものである。
あるべき自衛隊の地位と処遇
自衛官だけが就職するに当たって「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」と宣誓する。このことを政治家たちは実感として何一つ認識していなかったのではないだろうか。
事態が一段落した暁には、活躍した部隊の表彰等が行われるであろうが、それは一過性で、真に自衛隊を顕彰することにはならない。
創設以来、自衛隊が求めてきたことは装備品等の「物」の充実とともに、地位の向上と名誉の付与という「心」の処遇である。以下、処遇について略述する。
(1)第一は国際社会で活動するようになった現在でも、軍隊と認められていないために国際場裏で真の活躍ができないことである。
軍隊と認定し、憲法に明記することである。そうすることによって、の問題なども自ずと解決する。また国際協力でも本来の能力発揮ができるとともに、真の友情が培われる。
(2)次いで、統合幕僚長だけでなく陸海空幕僚長を認証官にすることである。
大臣や検事総長、最高裁長官、特命全権大使は言うに及ばず、副大臣、官房副長官、検査官(会計検査院)、人事官(人事院)、公正取引委員会委員長(内閣府)、特命全権公使、次長検事や高検長、最高裁判所判事や高裁長官までもが認証官である。
しかし、国家の存亡に関わる自衛隊の誰一人として認証官ではない。
実際、佐藤栄作元首相は当時の法制局長官を認証官にしたいと話したところ、卓見の持ち主であった同長官は統合幕僚会議議長(現統合幕僚長)を先にしてほしいと逆に具申し、沙汰止みになった経緯がある。首相の意志次第である。
自衛隊高官が認証官でないこともあってか、天皇陛下の謁見や国賓来日時の儀仗などもほとんど実現していない。隊員の士気阻喪は甚大である。
(3)戦前の叙勲は、一般人の勲章(勲1等~勲8等)と軍人の金鵄勲章(功1等~功7等)に分けられ、年金が付随していた。例えば明治20年代の一般勲章の840~50円に対し、金鵄勲章には1500~150円の生涯年金が支給され、軍人への恩賞の重さが歴然としていた。
戦後は軍が廃止されたことで勲章一本にされたが、命を代償にする自衛隊の最高位にある統合幕僚長や各幕僚長が一般人や在日米軍司令官より下位に叙勲される異常さが際立っている。早急な是正が必要であろう。
(4)給料・年金などは、一般公務員よりもはるかに若年で定年となり、不利な条件下に置かれている。50歳前後の定年者も多いが、上述のように自衛隊の国家的認知が低いため、再就職に当たっても適正な処遇にはほど遠い。
子弟の教育もあり生活設計が最も重要な時期に再就職するわけであるが、マスコミは高級官僚のと区別することなく批判を繰り返している。
他部隊等への出張に当たっても、自衛官には他官庁や会社のような日当を含む旅費が支給されない。目的地までの切符が準備され、寝食は最寄の駐屯地で行うことになる。
従って、目的地での出費はすべて給料から支払うことになり、出張が重なれば家計を圧迫するという矛盾をきたす。家人からは出張しないように頼まれるというおかしな構造さえ生じる。
(5)弔慰金などについても、自衛隊は危険が伴う仕事である割には整備されてこなかった。カンボジアに初めてPKO派遣された時、選挙監視員として警察官と共に派遣された自衛官の弔慰金が格段に低いことが判明し、整備されたが、依然として差があると仄聞する。
「武士は食わねど高楊枝」や「武士の商法」などの俚諺は、戦前の軍人給料・恩給や金鵄勲章年金などで見るように、後顧の憂いなく任務に邁進できた良き時代のことである。
しかし、今日の自衛隊においても、金銭のことを口に出すのは憚られるといった雰囲気は継承されており、自衛隊自身の申し出による是正には繋がらない弊がある。
(4)(5)項についても政治が率先して「身を賭す」任務に見合った処置を講ずる必要がある。
終わりに
坂本多加雄氏によると、日本が国家たり得たのは唐・新羅連合軍との本土決戦を想定して建設された古代律令国家と、日清・日露戦争に至る緊迫の極東アジア地政学の中から生まれた明治国家の2つだけであるという。
これは言うまでもなく、日本が国家概念に目覚めたことである。
今、日本は真に「国家たり得る国」に脱皮することが求められている。ここで言う国家たり得る国とは、自分の国は自分で守るという意志と構えを持つ国である。
今次の自衛隊の救援活動は賞賛されているが、自衛隊の本来任務は国家の独立を守ることである。
そのためには、自衛隊が国民の負託に応えて行動できることであり、その時こそ米国も同盟の重さを意識し、心底からの協力をしてくれるに違いない。逆に同盟の深化が期待できない場合は、米国の関心が広大な市場の中国へ向かうのは自然であろう。
3.11を日本の新しい契機にするために、自衛隊を貶めてきた政治屋たちには与野党を問わず一斉退場を願い、政治に命を傾ける政治家によって本当の日本国家を創ってもらいたい。
その第一歩は「日本人による日本のための日本国憲法」を持つこと以外にない。
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